【2】現在

看護記

※以下は生前の夫の闘病記を綴ったもので、過去のブログから徐々にこちらに移動しています

2018年1月13日


誤嚥性肺炎、衰弱により入院。
体重は39.3kg(身長172cm)。
前回12月21日は44kg。

年末年始で転がるように状態が悪化。
経鼻栄養と点滴による抗生剤開始。

当初の目的は、プラチナ製剤→新薬のオプジーボだった。

今月から2~3クール、プラチナ製剤投与の予定が、
現状はとてもじゃないけど不可能。

主治医は、
「今投与すると、それこそ寝たきりになってそのまま廃人になるよ。
そもそも抗がん剤自体、効果がある可能性は低い。
このまま緩和ケアの方が何か月も生きられるのでは。」

思い返せば、もう1年以上無治療だった。
度重なる放射線治療で、もう出来る事はないと言われていたのだ。

口蓋(口腔の天井部分)は既に全欠損しており、食事は吐きながらという状態。
少しずつ食べる量が減っていたが、それでも私の作る料理を先月12月までは食べていた。

仕事にも行っていたし、お酒も飲んでいた。
食べられなくなったのは年末からだった。

夫の希望は、「抗がん剤をやりたい」。

主治医がその希望を汲んで、1週間は経鼻栄養剤を入れる事に。

1週間で回復しなければ、そのまま緩和ケアへ。
回復が見られるなら、胃瘻を造り自宅療養し、更なる回復の後に抗がん剤を。

ただ…
主治医は、胃瘻も抗がん剤も、やや消極的であった。
夫の予後の事を考えると、緩和ケアでステロイドの方がより楽に最後まで過ごせるのではと。

これまでハッキリした余命を言われた事が無かった。
夫は病室でその場にいない状態だったので、思い切って

「先生の見立てでは、先はそんなに…?」と聞いた。

「そうだね…この年末の悪化の具合を見てると、
これは最期の一か月の症状だよ。
ただ、まだ若い。だから経鼻栄養をやるんです。
それである程度回復する可能性は大いにある。
それでも…月単位だと思います。
だから一旦胃瘻を造って自宅に帰る道になるとは思うけど…

ただ、胃瘻は止め時が難しい。
胃瘻で体力が付くのは必ずしも良いことではない。

意識がハッキリした状態でこれから痛みが出て、癌も広がり、
それで苦しむのは、酷だと思う。

ただ、決めるのは本人だから。
もう少し落ち着いたら、僕からも本人に話しますよ」

これが、余命宣告というやつなのか…

誰もいないナースステーションの中で、2歳の次男を抱っこした状態だった。
10歳の長男は、「待合室でゲームしてなさい」と外させた。

なんとなく夫の痩せ衰え方を見ていると、もしかすると…という思いもあった。
でも、こんなに早くこうなるとは思っておらず。

未だにこれを書いていても、実感が湧かない。
まだこれでも、何年も生きるんじゃないかと思ってしまっている。

口からはもう食べられないと言われた。
その事をまだ夫は知らない。

口から食べられないのに、緩和ケアに行く=胃瘻はしない、と言うことが、一体どういう事なのか。

怖くて仕方ない。

一週間でそんな覚悟、出来るわけがない。
夫への宣告は、したくない。可哀相だ。

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