【4】長い闘病

看護記

※以下は生前の夫の闘病記を綴ったもので、古いブログから徐々にこちらに移動しています

2018年5月29日

夫と出会った頃、そして結婚した頃は、
原発の腫瘍が縮小を見せていたり
主治医からも「もう来なくてもいいよ」なんて言われていた。

病歴は長いけれども、さほど悲観することなく共存していた。

私も病気を持っている事にはそんなに抵抗なく結婚し、二人の子供にも恵まれ。
今思えば、夫は病気の事についてそんなに話してくれなかった。
負い目があったのだと思う。

帰宅が早くて「あれ?早いね」というと「あ、今日病院だったー」という軽い感じ。
「順調?」「うん、変化なし」と、数秒で終わる会話。

過去に何度か「腺様嚢胞癌」と検索したことがあったけど、
珍しい病気なのであまり有益に情報を得られず、
知識も無さすぎて、ずっと一人で闘病させてしまっていた。

2016年10月に二度目のサイバーナイフを受け、
その副作用でどんどん元気がなくなった。
でも副作用だからまたそのうちおさまるだろうと。

2017年5月、重度の中耳炎で入院。

画像検査で、サイバーナイフが効いていない事が発覚。

もう出来る治療は無いと分かったのがその時だった。
通院に付き添ったり、病気の事について調べたり、
10年の結婚生活で病気看護というのを始めたのは、その頃からだった。

自尊心が高く、人に世話になるのが好きではない夫。
長い時間、孤独にさせてたな。
今もきっと、孤独に違いない。
どう声を掛けていいか、分からない。

今はお互いまだ、諦めるような言葉は出していない。
まだ、受け入れられていない。
日常的な会話しか、ほとんどしていない。
余命僅かな事が確実になってきているけど、
まだ目を逸らしているように思う。

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